2009年1月16日金曜日

アメリカが密接している日本での大麻の歴史

そもそも、私たち日本人と大麻はどのように関わってきたのだろうか。まずは日本人と大麻の歴史を知るべきである。日本人と大麻との関係は縄文時代までさかのぼる。縄文土器の模様をつける1つとして縄を土器に押し付けるという方法があった。その縄が正しく大麻の縄であったのである。また、縄文時代の寒さの厳しい冬には食物繊維の中で最も丈夫な大麻の布で体温を保ち縄文人にとってなくてはならない存在だった。奈良時代になると税金をなんと大麻の布で支払うこともできた。大麻は絹と同等の貴重な物として扱われていたのだ。また、その頃から神主が振る大幣には大麻の繊維が使用されていることや秋の収穫の祭りにかつぐ神輿の上にも大麻の繊維が垂らされているなどのように日本人は大麻には悪を祓う力があるとされてきた。大正時代になると大麻は、葉をタバコに混ぜて吸うと喘息に特効であり、実際に昭和初期まで薬局で喘息用に売られていた。その他にも鎮痛・鎮痙および催眠剤など例えば母親が子供を産む時に痛みを緩和するために使用していた。このように大麻は当時、今とは違って自然にどこにでも生えていた植物であり誰にでも栽培することができ、簡単に手に入りかつ使用できるものであったと考えることができる。よって、遠い昔から日本人と大麻は深く関わっていたである。例えば、東京の麻布という地名があるように漢字を見ての通り、より深い関係であったことを物語っているのではないだろうか。しかし、昔から様々な利用法があり生活に欠かせない存在となっていた大麻も終戦直後のアメリカ軍占領下のもとにポツダム省令にて大麻を麻薬と定義され大麻を完全に禁止されたのである。だが、日本もこれまでの大麻の存在を考えると黙ってはいられなかった。日本の大麻は繊維質が多く向精神作用をもたらす化合物は少ないサティバ種であって向精神化合物を多く含むインディカ種ではなく大麻は日本の主要農産物として当時の農産省は大麻禁止に再三の交渉に出たのも空しく大麻取締法が制定されたのである。その結果、栽培を行う場合には免許取得が必要となった。これを境に日本では大麻の姿が消えて「大麻=麻薬」と人々の頭に植えつけられて現在の日本に至るのである。確かに当時の日本の立場を考えると戦勝国アメリカの推し進める方針には絶対である。こればかりは、いたしかたなかったことだろう。それにしても、なぜアメリカはそれまでごく普通に栽培されていた大麻を日本にまでも大麻取締法を制定させて禁止にさせたのか。それは、合成繊維と化学薬品産業を成長させたかったのだ。化学技術の発達によって石油・石炭を原料とする合成繊維や化学的に精製されたが薬品などが登場し、それまで一般的に繊維素材や薬品として使用していた大麻から代えようという動きがあったためである。そうした産業改革の変化を決定的にした背景には1937年のマリファナ課税法という法律があるのだ。事実上すべての大麻の使用を禁止し、マリファナの害を防ぐ法律ではなく、どうしても使用してしまう大麻製品には税金をかけるという法律である。この法律は、大麻を市場から抹殺することで林業と合成繊維業界を活性化させることが狙いであり、大麻に税金をかけることで大麻製品の価格が上昇して製紙原料が大麻から木材に変わり、繊維原料が大麻から合成繊維に変わることで結果、経済を活性化させるのではないだろうかというマリファナ課税法はアメリカ政府の実験だったのだ。この法律が発効しての2年後に当時の大統領ルーズヴェルトは、大麻を禁止したことを一切述べずに実験の成功を全世界に発表したのだ。よって日本は、アメリカ政府の実験の成功に伴って動かされた国なのだ。だが、それによって後の日本の高度成長期につながり、現在の何においても発展した先進国日本があると言える。現在は、あれから半世紀以上が経った。今後の大麻の方向性について日本自身が何からも指図を受けることなく決断できるのである。現在、特にタイムリーな問題となっていることで様々な議論が出されているが、大麻を一体、今後どのような方向へと持っていくべきなのだろうか。それは、後ほど自分の意見を述べるとしよう。

参考文献
・青林書院 古田佑紀、斎藤勲編 薬物五法〔大麻取締法・あへん法・覚せい剤取締法〕

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